2011年3月18日金曜日

東北関東大震災

3月11日 恐ろしい地震、津波に襲われました。

ラジオも携帯の充電も無いなか

全く自分達の置かれている状況を知らぬまま

3日目、3月14日にようやく電気と水道が復旧しました。

そして電気が復旧して

テレビが見れるようになると

自分達の置かれている状況を知りました。

はじめは東日本大震災だったのが

いつのまにか東日本関東大震災と名称が変わるほど

それほど甚大な被害状況だったのです。

現在も安否が分からなく

つらい避難生活を送っている方々がいらっしゃいます。

そして、命をかけ夜を徹して

復旧作業をしてくれている方々がいらっしゃいます。

その方々は、命の恩人です。

その恩人たちから受け、なんとか生活を送れています。

足りないものはたくさんあるけれど

まだまだわたしたちは恵まれています。

今、わたしたちが何が出来るのか

小さなことだけど、毛布や布団を避難所へ

そんなことしか、まだ見つけられないけれど

助けてもらったご恩を

また誰かに贈って繋げていきたいです。



取り急ぎでは、ありますが

わたしたち家族は無事です。

挫けて涙が出てくることがありますが

前向きに、前向きに

日常を取り戻す努力をしていきたいと思います。


わたしたち家族は 無事です

元気に笑ってお逢い出来ることを楽しみにしています。

頑張れ 東北

頑張れ 茨城

頑張れ 日本

2011年2月25日金曜日

霊山浄土へと

10日に姉が旅立ちました。

桜が咲く頃までは…と期待していたのですが。

ひたちなかに20日ばかり居たので

ホスピスの窓から、梅の花でも見たかもしれません。

初七日を過ぎる頃までは、

日の中に我知らず涙がこぼれ落ちることがあり

その後から悲しみがじわりとやってくるのです。

時の薬と言いますが、

初七日過ぎから諦めの気持ちと共に、

薄紙をはぐように悲しみはうすらいで来ています。

60年陰日向にわたしを守り育ててくれた人でした。

昨年はずっと病の内にあったので、

私は普段だったら何でも話すのに、

大手術をした連れ合いの事はあまり話せませんでした。

もう姉を頼らないでやって行かなくちゃ、

と思っていたからです。

仙台を立つ数日前その日が、

私との最後の別れの日となりました。

昼にすいとんが食べたいというので作ると丼に一杯、

美味しいと言って完食してくれました。

別れの前にハグをして、手と足をさすってあげました。


でも、ねぇちゃん
あのハグ体に辛くなかった?

って、今思うの。